「未来の白地図」の感想の感想

マリみて系のニュースサイトを見ていたら、「祥子」を「乃梨子」と読み間違えました。文字数すら違うのに…。どうやら私の頭の中では、強力な乃梨子変換スクリプトが動作しているようです。


それはさておき、

新刊の発売からそろそろ一週間、方々で感想が出揃ってきました。と言うわけで、それらの感想を読んだ感想でも書きます。「感想の感想」、つまりメタ感想です。とりあえず「メタ〜」って言っておくと御大層なものに聞こえますよね。「メタ」の使い方が間違っているような気もしますが、特に気にしない方向で。


(あまりに長くなったので続きは隠しておきます。お暇な方はどうぞ。)


最近、否定的な感想が多いことが恒例となりつつありますが、今回の否定的な感想の典型は、

あそこで祐巳瞳子にロザリオを渡そうとするなんて、あまりに唐突すぎます。展開についていけませんでした。
今まで祐巳瞳子を妹に望んでいる描写なんて全然なかったのに、48ページで急に顔を赤らめたり、わけが分かりません。おまけに「何となく」妹にしたいだなんて…。
それに対して「薔薇のダイアローグ」はよかったです。あの二人の話はもっと読んでみたいと思いました。

こんな感じですかね。一応断っておきますと、上の文章は引用ではなくて私が作ったものです。本心と逆のことを書くのは難しい…。


今回の否定的な感想に頻出する言葉は、「唐突」です。要するに、祐巳瞳子にロザリオを渡そうとした理由がきちんと描写されていないと主張しているわけですね。一応理由としては「何となく」となっていますけど、否定的な人にとっては説明を避けているだけにしか思えないようです。
しかしですね、主要なスールを顧みると、きっかけは一目惚れが多いわけで、それこそ一目惚れの理由なんて「何となく」としか言いようがないわけです。聖さま志摩子さん然り、志摩子さんと乃梨子然り、蓉子さまと祥子さま然り。
さらに言えば、祥子さまが祐巳に初めてロザリオを渡そうとしたのなんて、「何となく」以外の何物でもありません。しかもどっちかと言うと、悪い意味での「何となく」ですよね。
もっとも、上記の事例と今回の事例とでは大きな違いがあります。今回の事例では、初めて逢った相手を「何となく」スールにしたいと思ったわけではなく、今まで付き合いのあった相手を突然に「何となく」スールにしたいと思っています。ここのところが「唐突」と批判されているわけです。
しかし、今まで何とも思っていなかった相手が突然恋愛対象になるなんてのも良くあることですし、何かのきっかけで突然妹にしたいと思うのもアリですよね。構造的には一目惚れとそう変わらない気がします。
そもそも、祐巳だって「妹問題」に関して何も考えていなかったわけじゃありません。特に祥子さまに「あなた、妹を作りなさい」と言われてからは、それなりに悩んでいました。ただ祐巳にとっては、「祥子さまと自分」がスールの基準でしたから、姉としての自分とそれにふさわしい妹と言うものが良く分からなかったのだと思います。それがようやく分かったのが、白地図の話を瞳子から聞いた時なのではないでしょうか。結果はアレでしたが…。


と、まあ、私の考えはこんな感じですが、新刊を肯定的な姿勢で読まないとこうはならないんですよね。逆に言えば、否定的な感想を持つ人は、最初から否定的な姿勢で読んでいるのではないかと。
これは私の独断と偏見に基づいていますが、「唐突」と言っている人の中には、いわゆる「(旧)可南子派」が多いように思います。勿論「瞳子派」の人もいますけど。
瞳子派」の人は、祐瞳を既定路線として読んでいますから、文章から得られる情報を祐瞳路線強化の方向で解釈しがちです。良く言えば「行間を読むことができている」、悪く言えば「脳内補完をしている」ってことです。これに対して「(旧)可南子派」の人は、明確に描かれていない限り、あまり祐瞳路線強化の方向で解釈していないような気がします。


以上は「未来の白地図」についてですが、否定的な感想の典型で示したように、「薔薇のダイアローグ」に関しては、否定的な感想は殆どないのは興味深いところです。勿論素晴らしい出来であることに疑問の余地はないのですが、こうまで「未来の白地図」と評価が分かれる背景にはこんな事情があるのではないかと愚考しました。
もしかして、「未来の白地図」に対して否定的な感想を述べる人は、「妹問題」に振り回されるのに疲れてしまったのではないでしょうか。いや、今野先生が読者を振り回したわけではなくて、読者の方が勝手に振り回されていただけですが。「瞳子派」と「可南子派」の対立は過熱の一途を辿り、もはや議論とは呼べない罵詈雑言が飛び交っていたこともありました。
そんな状況下では、「妹問題」に関心を失う人が出てくるのも無理からぬところです。関心を失ってしまった人は、「妹問題」はもうたくさんだ、それよりも既存の人物関係をより掘り下げて欲しいと思うようになり、その需要を満たしたのが「薔薇のダイアローグ」だったのでは。


思うに、「マリみてはフィクションである」ってことを忘れている人が多いような気がします。勿論、「リリアン女学園は実在する」と思いこんでいるとか、そう言う意味ではなく、あまりに細かい点を気にし過ぎていると言う意味です。別にフィクションだから適当に読めと言っているのではありませんけどね。
突き詰めればマリみては、今野先生の作り話に過ぎないわけですから、登場人物の性格がその場その場の役割に合わせて変わるってこともあり得ます。大体、マリみては「学園コメディ」ってことになっていますから(最近の展開はコメディにしては重いですが)、そんなに肩肘張らずに、気楽に読めば良いのではないでしょうか。


うわ、読み返したら、やたらと長文になっていますね…。しかも、まとまりがない。