2008年2月11日アニメ感想

俗・さよなら絶望先生 / 第六話『君 知りたもうことなかれ』『夢無し芳一の話』『隠蔽卒』

Aパート。可符香が「家族は本当のことを知っていたのに〜」と言ったシーン、背景がマルセル・デュシャンロトレリーフでしたね。Cパートでも繰り返し出て来ましたけれど、ぱにぽにが思い出されて懐かしいです。ちなみに宇宙の真理は、グーグル先生が教えてくれます
Bパート。ついに絶望先生にも斎藤千和さん出演ですか。これで新房昭之さんが監督・総監督を務めたシャフト作品には皆勤賞と言うことになりました。いつかこの時が来るとは思っていましたが、まさか夢の中の芽留役でとは。
Cパート。キャストがシャッフルされていて何が何だか分かりません。「アイドルなのか声優なのか、はっきりしなさいよ!」って、それを新谷良子さんに言わせますかw
今回の絶望文学集、隣の国で国宝が焼け落ちたこの時期に「金策寺」とは、タイミングが良いのか悪いのか…

言い訳のようなもの

私は以前こう書いたことがあります。

芽留の中の人が千和さんだと言う確証はないのですが、どうもそう聞こえるんですよね。これで間違っていたらファン失格ですけれどもw

http://d.hatena.ne.jp/madauca/20070816/1187289361

しばらく経った後、ぱにぽにオオサンショウウオと同じ方式、つまりキャスト陣による持ち回りだと言うことを知りました。結果的にファン失格だったわけですw
芽留役が千和さんだと言う話は、第1期の放送開始当初からありました。が、その時点では、それは絶対にないと思っていたんですよね。今更言っても詮なきことですけれど。
しかし放送が何話か進んで行く内、芽留は千和さんだと強硬に主張する意見に出会いまして、その影響を受けて自分の意見を変えてしまったのです。振り返ってみると、元々芽留には台詞らしい台詞がなく声の判別が難しかったところへ、絶望先生千和さんが出演していたら良いのにと言う願望が加わって、このような間違いをしてしまったのだと思います。
世の中には、ある声優さんのファンだと言いつつも、その人がアニメに出演した時、「EDのキャストを見て初めて分かりました。すごいです!」みたいな反応をする人もいます。が、私はそうではありません。自分のダメ絶対音感には相当の自信を持っています(実際今回のCパートでは、CV表記を見るまでもなく声を当てている人がほぼ完璧に分かりました)。それだけに、よりにもよって千和さんの声を聞き間違えてしまったことに相当のショックを受けました。2007年最大の失敗です。

ARIA The ORIGINATION / 第6話「その 素敵な課外授業に…」

灯里のゴンドラが海へ流されたシーン、彩色パリーナの位置が間違っていましたね。その前のカットでは階段よりも海側にあったのに、いつの間にかARIAカンパニー側に移動していました。前々から出て来る度に違う場所にあるのが気になっていましたが、そろそろ設定をしっかりと統一して貰いたいものです。
今回も原作付きの話でしたけれど、前回同様、これもあまり好きではないんですよね…。いくら理由を説明されたところで、あれだけ生活を共にしている灯里でも怒っているところを見たことがないなんて、そんな人間は信用出来ませんよ。
アリシアは、ジョークで「黒い」と形容されることが良くあります。OVAではキャスト陣にも言われていましたw 考えてみると、これもやはりアリシアの性格が非現実的であると心のどこかで感じているからこそ、それを補うために「実は黒い」と言う発想が出て来るのではないでしょうか。
第3期の裏テーマだと勝手に思っているアリア社長の衛生問題についてw まず人間用の容器に入ったパフェを食べるのはどうなんでしょうか? 勿論食後にはちゃんと洗われることとは思いますが、人間と猫が食器を共用するのにはやはり抵抗を感じます。それにアリシアに頼まれてアリア社長が飴玉を子供達に配るのもどうかと。包装されているとは言え、猫がくわえて来た飴はあまり食べたくありません。

GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO- / 第6話 チベタンテリアの引退

原作では第三者視点だったところも義体視点に切り換えてしまっている第2期において、実質的にニノが主人公であるこの話は異質に見えます。第2期の方針に合わせて、どうせならもっと思い切った変更をすれば良かったのに、中途半端なことです。細かい違いはいくつかありましたけれど。
まずカシュマンを確保する場面、あれは珍しく良い改変だと思いました。原作だとジョゼがやや不用心な感がありましたから。それに万華鏡が壊れる過程でリコの責任を重くすることによって、ヘンリエッタとリコの仲が険悪になっていましたが、これも仲直りがどのように描かれるかによっては評価出来るのではないかと思います。
しかしヘンリエッタが屋敷に出入りしていることをニノが知ってしまうのは、良くないのではないかと。一方では道具店の店員と客として接触がありながら、お互いの知らないところで誘拐犯と誘拐の標的、あるいは誘拐犯公安の人間と言う関係になっている。その皮肉的な状況に意味があるわけで。さらにニノがフランカに別れを告げる際の会話も、頂けません。フランカがニノの言うことに反論出来ていませんでしたけれど、あれでは復讐燃えるフランカと情熱を失ったニノと言う対比が薄くなってしまいます。