志摩子さんの謎

どうもこのブログ、当初の予定と違ってマリみて分が薄くなりかけていますが、今後はもう少しマリみて関係の記事を増やしていきたい所存。
そんなこんなで志摩子さんの謎について、まあ謎と言うほど謎ではありませんが。
志摩子さんは父親のことを「お父さま」、兄のことを「お兄さま」と呼んでいますけど、こういうものは普通、言葉を覚えていく過程で親が教えるものです。でもあの志摩子さんのお父さんが「お父さま」と呼ぶように育てるとは、どうも考えにくい気がします。いくらお寺の子だからって、親をさま付けで呼ばせる必要もありませんし。
ちなみに賢文さんは「親父」なんて呼んでいますけど、まさか小さい頃からそう呼んでいたわけでもないでしょうから、あまり参考にはなりません。
以下妄想ですが、志摩子さんは、物心がついてキリスト教に目覚めていく過程で、「お父さん」etc.から「お父さま」と呼び方を変えたのでは?そして志摩子父は寂しさを感じたのであった(笑)
それとも周りにいないだけで、両親をさま付けで呼ぶのはよくあることなのでしょうか?私は話にしか聞いたことがないのですが。