スール規則制定委員会:スール関係の発生

リリアン女学園高等部特有のスール制度は専ら慣習によるものである。一般にリリアン女学園の生徒は「善良な子羊」であるから、明文化された規則がなくとも上手くいく場合が多かったと思われる。
しかしスール制度は数十年の伝統を持っており、その歴史上においては何らかの問題が生じたこともあったのではないか?そのために涙を飲んだ生徒もいたのではないか?
さらに近年個人の価値観の多様化が進んでおり、これはリリアン女学園においても例外ではない。「チェリーブロッサム」147頁の「今時の若い者は」はこのことを端的に示している。この先、慣習によっては解決できない問題が生じる可能性は高いと言えよう。
よってスール制度に関して明文化された規則を定めることは急務である。また制定に当たっては慣習を重視しつつ、当事者の利益を考量していくべきだと考える。
なお私の意図するところはあくまで規則の制定であり、現行のスール制度を法的に解釈することを目的としているわけではない。そのようなスール契約に関する法的考察に関しては、先人によるものがいくつかある。「スール契約の民法学的考察」(アホヲタ法学部生の日常)や「姉妹契約関係の対抗要件の問題」(天麩羅茄子)はその代表例である。
以下、スール制度に関して個々の局面ごとに見ていく。

  • スール関係の発生

スール関係の発生に「姉」と「妹」の合意が必要とされることに関しては異論はないであろう。
問題はロザリオの引渡しの位置付けである。スール関係の発生について、意思主義に即せば合意のみで足り、ロザリオの引渡しは対抗要件に過ぎないことになる。*1一方、形式主義に即せばロザリオの引渡がなければスール関係は生じないことになる。
意思主義か形式主義か、果たしていずれを採るべきか?スール関係を親族関係類似のものと考えれば形式主義を採るべきであるが、スール関係が親族関係と同程度に強固なものではないと言う点からは疑問の余地がある。
これについて参考になるのは「いとしき歳月(後編)」212頁の聖さまの台詞である。

ああ、そうだ。ロザリオがいるんだっけ

聖さまはとかく形式と言うものを嫌う傾向にある。その聖さまが「ロザリオがいる」と言っているのだ。これは慣習は形式主義によっていると考えて差し支えないであろう。

  • 今日の条文

(スール関係の発生)
スール関係は、上級生が「姉」となる意思を持ってロザリオを引渡し、これを下級生が「妹」となる意思を持って受け取ることによって生じる。

*1:「姉」Aからロザリオを受け取っていない「妹」Bは、CがAからロザリオを受け取った場合、Cに対して自分こそがAの「妹」であると主張することはできない。